なかいくんのおとうさんが亡くなった話

2015年5月9日サムガ。


もれなくいつも通り私は聴いていなかった。どんなになかいくんを大好きでも、聴き取り辛いラジオほど退屈なものはなく、余程のことがない限り、いつも聴いていない。寧ろ、キスマイを好きになってちょいちょい聴くようにはなったかなってくらい。


放送開始から5〜6分経ったころに、仲良くしてもらってる相互さんからLINEが来て、文字通り絶句する。


もぐさん!サムガ聴いてますか?!

なかいくんのおとうさんが亡くなった話をサムガでしてます!




読んだ途端に涙が、そして慌ててサムガを聴く。なかいくんは相変わらず淡々と、あのしゃがれ声で闘病生活を語っていた。

涙が、涙が、鼻水が、なかいくんのおとうさんの顔が思い浮かぶ、涙が、止まらなかった。



なかいくんが、履歴書と一緒に事務所に送ったとされる、数枚の写真が、所謂闇写として売られていたのを今も持っている。

古い家屋の、板の塀。木の引戸の玄関の上に「なかいまさし」という木の表札。


最近はテレビによくそのおとうさんも出ていてお馴染みになっていたけど、デビュー前あたりには明星でSMAP6人が家族それぞれと2ショットで1ページずつ載ったこともある。

きむらくんは真面目な会社員のおとうさんと

しんごはそっくりの弟と、

ごろうちゃんはめぐみ(姉)と、

森くんは板前の兄ちゃんと、

つよしは…って、ここまできて覚えてないや誰とだったかなー…


なかいくんは、一番上のお兄ちゃんとだった。

パンチパーマの、ガタイのいい、なかいくんとは似ても似つかないようなお兄ちゃん。なかいくんのちいさな顔の、倍くらいある顔の、一番上のお兄ちゃんは、おかあさんが違うので、まぁ、似てないっちゃあそうなんだろうけど、一番上のお兄ちゃんはおとうさんとよく似ている。それに気づいたのはデビューから5年ほど経った代々木ホワイトシアターでのコンサートのときだった。そのとき初めてなかいくんのおとうさんを見た。


ホワイトシアターのコンサート、スタンド席の、ステージ正面にあたる席で、わたしたちの真後ろに、メンバーのご家族御一行様がズラリと揃っていた。わたしの真後ろがなかいくんのおとうさんだった。

わたしが立つとステージ見えないんじゃないかなと思って、座ったほうがいいのか、はたまた座ってたらファンじゃないみたいでご家族に悪いような気もするし、最中ソワソワとしてしまった回で、なんなら退場するときは漏れなくそれぞれのご家族御一行様と並んで退場させられる形になったもんだから、代々木体育館の時計のあのへんまで同行した友達とベラベラ喋るわけにもいかず、黙々と歩いた記憶が残っている。


なかいくんのおかあさんとはそれこそ何度か会ったことがあって、いや、自宅に押しかけたりしたんじゃなくてですね!w  コンサートによくいらしてたってのもあるんですけど、サンパール荒川で公開録画があったときに、どういう経緯だったか忘れましたけど、なかい担(とか当時はいわなかったけど)に集合がかかって、そんときにおかあさんがひとりひとりにご挨拶して回ったんですよね。いつもヒロちゃんがお世話になってます、これからもよろしくお願いしますねって、、、ちいさなちいさなおかあさんで、なかいくんのあの顔がおばちゃんになったままの顔のおかあさん。


ヨーカドーの婦人服売り場でパートしてて、会いに行ってたオタクもいたっけね。

中居家って、本当に庶民派って言葉がよく似合う感じだった。



何を書いてるのかさっぱりわかんなくなって毎度のことだけど、古い話を持ち出して本当しょうもな…ってやつで申し訳ないです。はい。




昨日のサムガのあと、思わず自分がツイートした言葉に対して、何か今になって自分に腹がたつというか、そんな気持ちがつっかえていてここに吐くことにしました。



中居正広どんだけプロなんだよ



言ってはいけない言葉。


もちろん、あれを淡々と語った中居正広に対して、プロだという思いと、

もう大丈夫なんで、と、ラジオで、家族の亡くなった話をするという行為に対して、プロだと思った気持ち。大丈夫なわけがないのに、大丈夫だなんて、すこし戯けたように言った中居。こんなときにまでムリしてプロにならなくてもいいのになって気持ち。


父親の闘病生活中にいつも通り、いつもに増して、仕事量の多かった2014年を乗り越えた中居はやっぱりすごい。


さすがだな


プロフェッショナルだな



でも




そう思ってしまうわたしたちや世間を、本人たちはわかってしまってるから、

プロフェッショナルでいることに徹している

そうさせてしまっている。



もし、そこまでの評価もなく、家族が亡くなったときくらい、自分の身体がキツイときくらい、


休めるくらいの、そんなポジションでいれるくらいだったとしたら、


もっともっとラクに生きていけるのに



ごろうちゃんが捕まったときも、


SMAPのいながきごろうが、駐車違反で捕まるだなんてあってはならないことだという、


つよしの、泥酔からの全裸のアレも、

SMAPはこうでなくちゃという呪縛のような毎日からの捌け口がそこにしかなかったのも、


全部全部、わたしたちがSMAPを、そこまでにしてしまったからなんじゃないかと、思うときがあった


のに。


また、中居正広を、プロだと言ってしまった。



なかいくんが大丈夫だと言っているのに。

どんな気持ちで大丈夫だと言ってるのかまでわたしたちがそこをうんぬんかんぬんほじくり返すこともせず、

ただ静かに、大丈夫だというんだから大丈夫なんだなと、言葉のまま素直に受け止めて、

何より大丈夫でいなくては。


きちんとけじめがついて、日にちも経って、よいお別れができたんだろうから、大丈夫だという言葉がすんなり出てくる。そう思う。

なかいくんは大丈夫なんだ。




同世代のアイドルだから、自分の親もそこそこ年齢が同じくらいなわけで、

大事にしなきゃな、という思いとは別に、自分の親がそうなったときにはなかいくんと同じように出来るだろうか、そう遠い日ではないだけに、真剣に考えた、翌日の5月10日の母の日だった。



そして自分も親として、


こどもたちを残してこの世を去るということが辛いという時期を超えて、もう自分の役目は終わったなと感じるその日は必ず来るんだと。


幸せだと感じることが

楽しいと感じることが

たくさんある日が多い人生でありますように。