2016/08/14 生きていく意味
2016年
ちょうど一年が経ちました
気持ちの整理がついたかといえば
ついたんだと思う。
5人個々が何かをしたとか
以前にも増して、どーでもいいと思う自分です。
週刊誌やネット記事が有る事無い事書いてるのだって
何とも思わない。そういう商売だもの。
その記事はウソだとか違うよってわかる人にはわかるわけで、
私にとっては他のタレントさんや政治家のことが何か書いてあったら
その記事の内容の通り、うわぁ〜そうなんだって読み過ごしてしまうから
普通に好きってくらいの「ファン」からしたら
週刊誌もネット記事も十分な情報になり得てるんだもんね、いちいちキリキリしたくない。
去年の8月13日の22時30分ごろ、サイゾーだかサイゾーウーマンだかが先取りしたのだって、結局は本当だったじゃない。
畳み掛けるようなそこからの2時間あまりの出来事を私は忘れない。
楽しかったみんなとの食事が
みんなが気を使ってちょっとずつ静かになっていったことも
部屋に帰ってからも
自然とひとりで居させてくれたことも
起きた朝に気晴らしのようにコンビニにいったことも
悲しいほど青かった空も
I SCREAMツアーのオーラス公演がいつになく神妙な面持ちで
勘違いじゃなければ、私の思い過ごしじゃなければの話だけど、
客席がびっくりするほどキスマイのメンバーが登場するのを待ちわびていて
登場したメンバーそれぞれの顔が、見たこともないような表情で、特に藤ヶ谷くんが真摯的に客席全体を見つめていたあのオープニングは忘れられないなぁ……
ファンに感謝しているという気持ちが表れていたと私は思ってる。
オープニングの、そこはとても覚えていて
あと、にかちゃんの挨拶の「舞祭組の二階堂高嗣でーす!」からは何が何だかわかんなくなって、いつの間にか北山くんのソロになって、ちょろっとそういうことにも触れて、舞祭組が歌って、あとは気付いたらヤフドの裏の橋を歩いてたな。
覚えてる内容これだけなのに、とっても長い長い3時間だった。ここにもう5人は来ないんだと、あのペンライトの海はもう無いんだと、自分はいままで何をしてきたのかと、こういうことばっかりを考えてたら、キスマイのオーラスが終わっていた。
なんだかんだ好きだとかファンだとか言いながら、後輩グループにじゃんじゃん降りてんじゃんって多くのひとは思ってるだろうな。
重きをどこに置いていたか、自分もよくわかんないわけだけど、
好きだった28年間、気持ちは一度も後方にしたことはない。
ただ、どうしても他のファンの方々と交わるのはとても苦手というかスタンスが違いすぎるひとが多すぎて、好きになった頃のあのときのあの感覚のひとたちは探しても探してももう居なくて、友達を作れなかったことが「行動」の数が少なくなった原因だろうなと思う。
2016年8月14日、キスマイのI SCREAMツアーのオーラスが終わって、10人くらいで焼肉パーティーをした。事後ではなくてその予定だったんだけど、
前の晩から一緒だったみんなが、やっと泣いてくれた。
わたしなんかが一緒じゃなかったらきっと楽しくツアーのオーラスを過ごせたはずなのにすごく申し訳なくて、この24時間もの間、なんという気持ちで過ごさせてしまったのかという罪悪感と、泣いてくれる友達がわたしにもいるという嬉しさと、
声を出して泣ける場があってよかったという安堵感と、
そんな気持ちでとんでもない量で泣いた。
解散するのがイヤだよ〜〜
って気持ちで泣いたというわけじゃなくて、
イヤだよ嘘でしょ
って思ってくれたひとたちとこの日を過ごしたんだって、嬉しい気持ちのほうが大きかったかもしれない。
前の年の2015年、同じ場所で私のお誕生日会をサプライズでしてくれたみんな。
翌2016年はまさかのあんな事態になって一緒に泣いてくれたみんな。
気付けば初めて会って5年が過ぎました。
いつも一緒にいてくれてありがとう
重荷になっているかもしれない
迷惑ばかりかけているのに
それでも声をかけてくれて
あの日、もしコンサートがなかったら
ひとりで過ごしていたなら
どうなっていたんだろうと思うと
大袈裟に聞こえるかもしれないけど
ひとりじゃなくて本当によかったと
心から思ってる。
ありがとう
そして私の中でSMAPがもう未来にはいないということを実感している2017年8月13日です。